2007年4月18日
2007年4月15日三重地震(M5.3)と2007年3月29日能登半島地震(M6.9)

大 きな被害を出した能登半島地震から1か月もたたないうちに、今度は離れた南の三重県で被害地震が発生しました。当然両者の関係が疑われる。

 

図1で示したと おり、中央日本の北部で新潟地震や能登半島地震のグループが発生した後、南部で三重地震が発生した。両者は、東側は糸魚川静夫か構造線、西側は若狭ー伊勢 湾構造線(木村仮称)で区切られていてそれぞれの近いところで発生している。プレート内進行方向は、白矢印で示している。

 

図1 中央日本の北部で被害地震が発生した後南部で三重地震が発生。

図1 中央日本の北部で被害地震が発生した後南部で三重地震が発生。

 

 

図2は、中央日本付近で発生した1891 年以降の被害地震(M>6.4)を示してある。円の大きさはほぼ余震域の大きさを概略示したものである。こうして見ると、海溝型大地震は1909年から 1946年にかけて発生し、駿河トラフの部分だけ発生していない。そのため、そこは歴史地震の空白域(第一種)になっている。 その後中央日本付近で発生した被害地震は、すべてプレート内地震である。1972ー2000年はフィリピン海プレート内で発生しました。

 

2004 年9月5日にM7,1と7.4の二つの大地震が発生した(若狭ー伊勢湾構造線付近)。その翌月活動は北に移り(というか糸魚川ー静岡構造線付近に移り)、 2004年10月23日年に新潟地震、2007年3月に能登半島地震とこれも二つの地震が発生した。その半月後、活動はまた若狭ー伊勢湾構造線に移り三重 地震が同年4月に発生した。過去の例では、この構造線上でもう一度大きな地震活動がないか注意する必要はありそうです。

 

ここで、では東海沖、すなわち駿河トラフ沿いの巨大地震についてはどうか。第2図によると、そこの歪は若狭ー伊勢湾構造線にかけて発生した大地震シリーズ で解放されているようにみえます。最近のプレート内での地震発生を見ると、能登から駿河灘にかけてのプレートは、フィリピン海プレートに対して反発してい ると言うより、フィリピン海プレートに押されて北方に移動して、内陸部でストレスを発散しているように見える。そういう意味では、プレート内に認められる 第2-3種と思われるA、BそしてCの空白域が気にかかります。これらについては本サイトの他ページでも触れている。

図2

図2

 

 

今回の三重地震は、M5.3と小ぶりであり、火山活動との時空関係が成立するかどうか疑問であったが、図3でプロットしたものを示します。良くフィットしている。

 

図3 噴火(p2)と地震発生の時間・空間的関係

図3 噴火(p2)と地震発生の時間・空間的関係

 

 

このエントリーをはてなブックマークに追加