図1を見てください。これは沖縄本島北谷沖の水中10mで,小型の水中ロボットにより撮影したサンゴ礁の海底の一部です。常識的に認識されているサンゴ礁地形とは全く異質であると言う点に注目下さい。しかし今後世界のサンゴ礁の海底でも、この様な異質な地形が続々と見つかる可能性があると考えられます。なぜなら、これもサンゴ礁にできやすい文化的地形の一つなのです。


図1 北谷沖に発見された人工的海底地形


 海底の地質調査の結果、図1のような直線的な異質な地形は、1万年より若いサンゴ礁を構成する礁性石灰岩でできていることがわかりました。そうであると、サンゴの生育の良い海では、このように大規模で直線的な地形でしかも斜面は削ったように平坦となっている地形は、断層でもなければ自然でできるものではない。しかし、断層地形ではないことがわかりました。では一体それはどのようにしてできた地形なのでしょうか。

 解明の糸口は、海底鍾乳洞の発見にありました。沖縄の海底で、陸上の鍾乳洞で見られる“つらら石”や“石筍”、“フローストン”と言った典型的な鍾乳石が形成されている洞穴がそこここで確認されました。それらの炭素年代は、2万年から2千年を示します。これは、そのころ陸上が現在海底に沈んでいると言うことを示しています。陸上にあった鍾乳洞がある海底に、礁性石灰岩の海底ではできないはずの地形があると言うことは、図1のような異質な地形は、陸上でできた可能性を示しています。

 それを支持するように、この近くに階段ピラミッドのような大きな構造物がそこここにあります。その一部を図2-Bに示します。それは数千年から2千年ほど前の珊瑚礁を削ってできていて、模式的には図に示すような構図になっています。実は、これらが海底遺跡と呼ばれているものなのです。





図2 与那国海底遺跡と北谷海底遺跡の比較



 海底でハンマーを持っての地質調査の結果、それらの階段地形も断層によって作られた地形ではなく、削剥された形跡が明瞭に観察されました。総合的な判断の結果、それらは、サンゴ礁が人為的に削られてできた地形以外には考えにくいと判断されました。

 残る問題は、そこが陸上時代に古代人により削剥されたものか、それとも現代人による浚渫等の工事によるものかと言う点に絞られました。しかし、炭素年代測定の結果、その人工地形を不整合的に被覆する珊瑚が1,000年ほど前からのものと推定され、戦前戦後の浚渫とは無関係とわかりました。

 この結果を、すでに調査が進んでいる与那国海底遺跡と比較したのが、図2です。図2−Aは、与那国の構造物です。削られているのが千数百年以上前の八重山層群という砂岩泥岩の互層のため、ベリリウム10により削られた年代と炭疽年代により、水没した年代がわかります。北谷のそれは、削られているのが石灰岩なので、削られた年代も水没した年代も炭素年代からわかります。それに付近の海底鍾乳洞の年代は陸上を示すので、これらの形成年代と水没年代は次のような結果となりました。

 これらは、数千年以降千年前までに陸上で形成されたもので、2,000-1,000年前から水没したと推定されます。また、どちらも沖縄陸上の大型の城(ぐすく)あるいはそれを上回る広さをもつ城塞のような機能を持ったものと推定される。また、与那国のそれは、近代に通じる工事様式により形成された道路網が整備された集落の形態を示すことが明らかになりました。

 これらの水没原因は、海面変動とそれを上回る広域な地殻変動によることが考えられ、生物にも大きな影響を与えたと見られます。サンゴ礁の海底地形が、水中で自然野営みによって形成されたものだけでなく、かつて陸上でしかもヒトによって作られたものもある可能性が強くなってきました。しかもそれは、未知の地球変動のあり方を明らかにしてくれようとしています。